クアトロガッツは旧西国街道の宿場町「椿の本陣」のそばに工房をかまえています。

宿場町の由来は中国にあります。その昔、中国では国内に都と地方を結ぶための官道を張り巡らせおり、主な交通手段である、馬の餌やり、乗り換え、旅行者の宿泊、休息所として駅が設けられていました。日本でもそれにならい駅伝制度を取り入れ、都と地方を交通で結び手紙などを運ぶことになります。これがスポーツの駅伝の由来にもなっています。

そうして江戸時代に宿場が整備され品川から大津までを53駅と定め、東海道五十三次が始まりました。

クアトロガッツの工房は京都から下関をつなぐ西国街道(今の山陽道、中国道)にある宿場「椿の本陣」のそばにあります。本陣というのは諸大名の宿舎になるところです。

正式には郡山宿本陣ですが、御成門脇に咲く椿が有名であった事から「椿の本陣」とも呼ばれるようになったということです。

こうした宿場には一般旅行者を対象とする旅籠、木賃宿、茶屋、商店等が建ち並び、その宿泊、通行、荷物輸送等で利益を上げたといいます。

当時は飛脚が手紙、荷物を持って隣の宿までを走り、バトンタッチすることで、当時としては驚異のスピードで伝書などを渡すことが行われていましたが、明治以降、鉄道開通などによって衰微していきました。

現在の椿の本陣周辺の様子はというと様々な企業の物流倉庫が連なり、クロネコヤマトの最大級の総合物流ターミナル「関西ゲートウェイ」が新しくできました。

近代の歴史では椿の本陣のすぐ近くには明治時代に川端康成が幼少から中学時代までを過ごした家と通学していた学校があり、この頃の思い出を綴っている文章も残されています。

現代で有名なものとしては建築家 安藤忠雄の代表的作品「光の教会」、expo70に創られた岡本太郎の「太陽の塔」が近くにあります。

そんな歴史ある椿の本陣の中には江戸時代の頃のお財布が展示されてあります。

江戸時代のお財布には巾着、胴乱、早道といった小物入れを根付で帯に引っ掛けてつるすタイプのものと、布でできた紙入れを折りたたんで懐に入れるタイプのものがあったようです。浮世絵などにもそうしたものが描かれています。

今でも財布の紐を締めるといいますが、当時の巾着や紙入れは紐がついていることが由来となっています。

帯にはさむ小銭入れ「早道」は革でつくられており、帯にはさんで使用できるように独特の形をしています。

江戸時代の風俗辞典「人倫訓蒙図彙」の第四巻・商人部には巾着師と紙入師の職人がものづくりをしている姿が描かれています。

歌舞伎の芝居絵、役者絵でも巾着や紙入れに手を伸ばしてお金を取り出す様子が描かれています。

こうした歴史の重なりの中で旧西国街道の道沿いに、旅好きが高じて小さいふを創っているクアトロガッツがあると思うと不思議な面白さを感じます。

※人倫訓蒙図彙 元禄3年・1690年に出版された、江戸時代前期・元禄期の生活を図解した全7巻の風俗事典。

こんな風に歴史を調べることで今となっては目に見えない時間の積み重ね、先人の暮らしぶり等、時代を超えてより広い範囲でのつながりを感じます。

歴史とは現代と過去の対話であるといいます。

最後に歴史についてイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーの言葉を紹介します。

「文明は一つの運動であり、状態ではなく、また航海であって、港ではない」

「人間は、できうる限り遠い未来のことを考えて人生を生きるべきである」

「現代の諸悪は人間自身が招いたものであり、したがって、人間自らが克服しなければならないものなのです。」

「ベストを尽くせばいいんだ。それ以上のことは誰にもできはしない」