「Remember your humanity, and forget the rest」 あなた方の人間性を心に留めて、そしてその他のことを忘れよ

ラッセル=アインシュタイン宣言の一節より

ナチスドイツが原爆を持てば恐ろしいことになるという理由で原爆の開発に署名した科学者たち。その中の心ある人たちが、広島と長崎に原爆が投下された時に感じたのは絶望でした。実はドイツが原爆を製造しないことが分かり、この計画の目的はソ連との冷戦のための核開発だったことを知ることになります。

二度とこのようなことが起こってはならないとバートランド・ラッセルとアルベルト・アインシュタインを中心に科学者11人が核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えたのがラッセル=アインシュタイン宣言です。この宣言を最後に三ヶ月後アインシュタインは亡くなっています。

終戦76年

終戦76年を迎えました。ナイキの創業者フィルナイトの著書「SHUE DOG 靴に全てを」の中で、フィルナイトが戦後間もない日本を訪れ、空港から宿に向かう道のりの描写が印象的でした。

1962年、20代の大学を卒業後に仕事を転々としていたフィルナイトが自分の馬鹿げたアイデアを叶えるために一念発起して世界一周の旅に出ます。その途上でオニツカタイガーのアメリカでの販売契約を取るために一人日本に訪れます。

目を覚ますと飛行機は急降下している。下を見ると、驚くほどきらびやかな東京が見えた。とりわけ銀座はクリスマスツリーのようだった。

ところがホテルに向かう車から見えたのは闇だけだった。街の大部分が真っ暗なのだ。「戦争さ」とタクシーの運転手が言う。「多くの建物が爆弾でやられたんだ」

アメリカのB29という大型爆撃機だ。1945年の春、数夜にわたってB29の群れがガソリンや引火物を詰めた5万ポンド(約340トン)の爆弾を落とした。東京は木造の家が多かったため、火の海となった。約10万人がたちまち生きたまま焼かれ、広島に並ぶほどの罹災者を出した。負傷者は100万人を超え、建物の3パーセント近くが焼失した。車内に重い空気が流れ、 運転手と私は押し黙った。言葉が出なかった。

ようやくタクシーは私がノートに書いた住所に着いた。ひどい宿だ。ひどいにも程がある。ア メリカン・エキスプレスで予約したのだが、見たことのない場所だし、どうやら間違えたようだ。 でこぼこの歩道を渡って、今にも崩れそうな建物の中に入った。

日本人のおばあさんが受付にいて私にお辞儀した。いや、お辞儀ではなく、年老いて腰が曲がっていたのだ。ゆっくりと彼女は私を部屋に案内したが、箱みたいな部屋だった。畳と傾いた テーブル以外は何もないが、気にはならなかった。畳も粗末だ。腰の曲がったおばあさんにお辞儀し、おやすみなさいと言って、畳の上で丸まって寝た。

数時間後、まぶしい朝の光に目が覚めた。窓まで這って行くと、どうも街外れの工業地帯にいるようだ。波止場や工場が溢れるこの地域が、B29の格好のターゲットだったのは間違いない。 見渡すと、どこも廃墟と化している。建物は壊れて瓦礫と化している。どこまで行っても廃墟で、 何もかもが失われていた。

フィルナイト「SHUE DOG 靴に全てを」

76年の月日を振り返ると今の私たちからすれば現実ではないことのように思えますが、76年前にはこれが現実だったのだと改めて思います。

今日の平和に感謝しながら、このようなことが二度と繰り返されないように、歴史の教訓に学び、平和の心と生命尊厳の哲学を語り継いで行きたいと思います。