『わかる』ハシモト会長かく語りき

第49話 証言「未来ってわかる ほんまもんせなあかん」

二世の証言

親の背中を見て子は育つ・・・ 最近世の中から、この言葉の意味が薄れてしまった気がします。
でも、しっかり見ている子はいるんです。 親、先輩、いろんな背中を見ながら成長していく若い活力。

世間にはいっぱいの荒波がありますが波に巻き込まれて、もまれて、ぐしゃぐしゃになって はじめてわかるのが親のありがたさ。
そして、親の庇護からするりと抜け出したところに 未来ってもんが待ってるんですな。
二世って、簡単じゃないんです。

本の題材であるハシモト産業のハシモト会長、この本の発起人のハヤシゴの林社長、 ビジョン会で登場されたナガタニの長谷社長、三人の後を歩む二世たちが集まり、胸の内を語り合った。

橋本 信一 ハシモト産業株式会社 大阪本社部長 橋本峻社長の長男
林 幸一郎  株式会社ハヤシゴ 専務取締役 林建次社長の次男
長谷 岳信 株式会社リナート 代表取締役 長谷信義社長の長男

二世の証言

二世が追いかける、その先

長谷さん

橋本社長は皮革業界の一匹狼、林社長も靴業界の一匹狼、長谷も バッグ業界の一匹狼、個性の強い初代ばかりです。
二代目、三代目になると、初代がやってきたことを伸ばそうとする人、それを真っ向から否定して独自路線を進もうとする人の二通りがあるんじゃないかな。
私は、基本は守りますが、やはり、新しい道を行こうとしています。

橋本さん

ぼくもそうやな。プロから一般のお客さんに革を売り始めたのが、その第一歩でした。
インターネット販売を始めたのも、海外に向けて革テープを売り始めたのもそうです。
バッグ、靴含めて皮革業界はつくれば売れたという一昔前とは違って、難しい時代に突入しています。

十五年前、タンナーさんが一ヶ月で消費していた皮の量は今、一年がかり。
国内の生産力は十分の一なんですが、消費者が減っているわけではなく、メイドインチャイナをはじめとした海外製品におされているんです。
さらに、高騰する薬品、人件費の高いなかでぼくらはどう闘っていけば良いのか。
一つひとつの商品に付加価値つけて、売っていかないといけない。
だからこそ、海外に打って出たい。
経験のないマーケットで勝負してみたいのです。

長谷さん

うちの親父も国内で商売をしていますが、二代目は違うことをしたいですね。
世界のブランドに対して負けないものづくりをしている自負はありますが、問題は、それを評価される場所がないことです。
コストの低い商品は入りやすいですが、そこそこの価格のものは、そう簡単に受け入れてもらえない。
会社の体力があるうちに、自社のものづくりを世界に発信して、その答えがどう出るか、探ってみたいと思いますね。

林さん

小学校四年生の時、ミラノにいた信一さんに世話になり、ヨーロッパを連れ回してもらいました。
ベルリンの壁が崩壊した翌年でしたね。
その時の印象が強く、大学を休学して、ハヤシゴの取引先であるガボールというドイツの会社で一年間働いたことがあります。
そこで目にしたのは、メーカーも小売店もリスクをとって仕事をしていることでした。

帰国して、自分の会 社を見て、問屋業だけしたらあかんって思いましてね。
自分たちでプロデュースするとこを念頭において、小売りをスタートさせ、今では五十店舗に成長しました。
この先は、やはり海外で自分たちのブランドをやりたいですね。

橋本さん

世界の壁の一つに、為替の問題があります。
振込手数料の高さから細かい商売は不向き。
タイムラグ、習慣、常識の違いなど課題は山積みです。
だから、私は今、タイに進出して経験を積んでいます。
それができるのも、ハシモト産業のテープづくりがあるから。
武器がなければ闘えませんよね。

インターネットという世界への扉

橋本さん

一般のお客さんに、ほんまもんの革を知ってほしいと、これまでの逆をやっているんですが、もっと、業界外のマーケットを広げたい。
気楽に買える場 所を提供するため、ボランチャイズ(高額なロイヤリティを支払うことなく、共同仕入れを基本として本部から応援や支援を受ける)やろうかって。
この間、うちのウェブサイトを覗いて興味を持った方が、「どんな会社か、一度見てみたい」と、北海道からわざわざ来られた。
本職は美容師で、趣味で財布などをつくっているのです。
そういうお客さんをネットワークできたらおもろいやろなって。

長谷さん

革を素人に売るという発想は、これまでなかった。
それを信一さん世代がつくった。
親父たちの時代は、インターネットもなく、業者は業者にしか売れなかった。
そのしがらみを一気に縮めてくれたのがネット。

国内の離れたところから買いに来てくれるということは、世界中に売れる。
これまで見えなかった世界を、見せてくれるのがインターネットじゃないかな。

親父さんがいいもん売ってきたから

林さん

ぼくが会社に入ったのは、ちょうどインターネットが登場したときでした。
時代は中抜き、そのなかで問屋業は・・・と、ギャップを感じながら十年、会社は大きく変化しました。
結果からいえば、問屋という立場が一番良かった。
川上はマーケットやお客さんのことがわからず、専門店は世界が見えない。
中間にいる問屋は、両方の話を聴くことができた。

ドイツの経験と、ネットの登場でいろんな景色が見えたからこそ、ほんまもんに気付いたのかもしれません。
「ハヤシゴが伸びたのは、親父さんがいいもん売ってきたから。安いもんやってたら、今はないねんで」と、橋本社長によく言われます。
最近、二万円代のスニーカーが売れているんですが、社長のやり方を見ていなければ、そんな値段、付けられなかったですね。

長谷さん

家電や車など、日本の技術力は世界から認められていますが、ファッションは感性。
メイドインジャパンの服やバッグは、かなりハードルが高いですね。
先代のやってきたことを全否定しては、なかなかうまくいかない。
かといって、同じことをやり続けるだけでは何も生まれない。ぼくらは半分認めて、半分否定しているんです。
信一さんは、ハシモト産業の技術を持って海外で闘う。
初代がつくった武器を、親父と違う売り方で勝負をする。
だから、新しいものが生まれるのだと思います。

橋本さん

会社には、創業から積み重ねた歴史と基盤がある。
何でこの会社は、存在しているのか。
それを生かして次の展開を試みることが大事だと感じます。

ゼロから変えることはできない。父親を見ていると、本音で、裸で ぶつかりあえる仲間でないと本当の商売はできない、ということを感じます。
同じ土俵の上で泣く時は泣いて、笑うときは笑う。
それが本当の商売であり、半永久的に続くやり方だと。

ぼくね、自分の会社のテープ技術が世界にどれだけ通用するのか、それを見てみたいんです。
芯が入った一ミリのテープは、世界でどんな風に認められるんやろ、と。
四十年やってきたハシモト産業は、どんな評価をいただけるのか、見てみたい。

それが一番かな。

林さん

日本の靴業界を見ても、お客さん視点ではなく、売る側の都合で商売をしている会社が目立ちます。
うちの本社が大国町にないのも、東京は浅草から青山に出たのも、業界のしがらみから飛び出すことへの姿勢でした。
いいものをしっかり売るというのは、言うは易く行うは難しです。

この間、ニューヨークに行ったのですが、マンハッタンでは大型チェーン店ではなく、専門特化の店しか存在していない。
効率を追い求めるチェーン店や、売り手都合の店 はそっぽを向かれるんですね。
帰国して橋本社長のところへ行ったのですが、 その話をする前に「これからは一つひとつのものづくりで、個人的に繋がっていくことが大切なんや」っておっしゃるんです。
すべてお見通しですね。

橋本社長のDNA

簡単じゃないよと口を揃えた二世たちは、想像以上の底力を秘めてました。
親父たちがつくり上げた武器を携え、世界の荒波に立ち向かう。
熱く語る姿は、たくましくもあり、まぶしくもあり・・・
彼らの体内には、「ほんまもんせなあかん」という橋本社長のDNAが 脈々と流れているんでしょうな。


この連載について

「革っちゅうもんはなぁ、、、。」本物の革とは、商売とは、人間とは?
クアトロガッツを始めた頃に革屋さんではじまった人生談義。
それがハシモト会長との出会い。

80歳を超え、戦後からの日本を生きてこられてきた中で培われたその稀有な人生哲学と大阪ならではの人情味あふれる人柄。
「そや、ここに紙があるやろ。俺らは今までこの紙の裏をやってきたんや。いっぺん表をやろうと思うんや。」
珠玉の言葉を噛み締めていただければと思います。

『 わかる。ハシモト会長かく語りき』